1960年に山口県で生まれ、山口・南陽工、協和発酵を経て1981年に広島に入団した津田投手は、1年目に11勝を挙げて球団史上初となる新人王を獲得。2年目以降は故障に悩まされましたが、血行障害の手術等を経て、直球勝負を貫く「炎のストッパー」として復活。1986年には胴上げ投手に輝きました。
しかし、1990年オフに体に変調をきたすと、翌年に広島大学病院で精密検査を行った結果、手術で摘出できない位置に悪性の脳腫瘍があることが判明。闘病からの現役復帰を目指していましたが、1993年7月20日に脳腫瘍により32歳の若さで亡くなりました。
座右の銘は「弱気は最大の敵」
その姿は多くのカープファンの心に残っています。
コメント