そして赤き陽は また昇る 常昇魂を宿した26番 (Page:2) | ||
2011年5月、チームの顔として打線を牽引してきた廣瀬の足が突然、悲鳴をあげる。 廣瀬:前の年に初めて規定打席に到達して、「さぁ今年も!」という段階で…すごく良いスタートを切れたのに、交流戦に入ってすぐ肉離れしたんですけど。正直、そこは本当に辛かった。自分でレギュラーの座を手放したと思います。 廣瀬:あの時は本当に…辛さの度合いは、ちょっとハンパなかったですね。ちょっと何とも言えない。悲壮感でもなく、絶望でもなく、「う~ん」っていう感じです。「う~ん」しか出てこない。 長期離脱後、グラウンドに戻るも精彩を欠き、レギュラーの座を明け渡した廣瀬。 さらにその年、規定打席に届かなかったが、死球の数はリーグ最多を記録。それはどんなボールも恐れずに踏み込む廣瀬流のスタイル。常にケガと隣り合わせで歩んできた廣瀬の野球人生そのものを表していた。 そして翌年も開幕から打撃好調を続けていたが、5月に死球を受けて右手首を骨折。廣瀬は再び覚悟の時を迎える。 廣瀬:今思い起こせば、たくさんの経験をしましたし…ケガも。それにうまく反応できなかった自分が悔しかったです。やっぱりケガをしてしまうと二流、三流なので、そのへんは僕自身が不甲斐ないと思います。 廣瀬:自分の中で何回もケガもしてきて、「復活してやろう」「もう1回ちょっと頑張ろう」という気がなくなれば、多分辞めてたと思いますし、こうやってインタビューも受けてないと思います。 ── 広島ホームテレビ「鯉のはなシアター」(7日放送)より「安芸の者がゆく」が文字起こし及び意訳・一部抜粋 | ||
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