広島にクリケンあり ~2015・栗原健太は今~ (Page:1) | ||
戦争の爪あとを残した広島から、広島市民の手によって生まれた広島東洋カープ。その選手であることに誇りを持っています。僕は広島も好きです。 ── 2008年8月6日 これはカープのかつての4番、栗原健太選手のブログに書かれた言葉です。毎年8月6日だけは必ず広島への思いを綴ってきました。 代打コールに沸くマツダスタジアム。 一際大きな歓声に包まれて2軍戦の打席に向かう栗原選手。 観客:クリハラ~がんばれ~。 この日は三振に終わりましたが、かつての4番・クリケンの1軍復帰をファンは待ちわびています。 栗原:ほんとに嬉しいですね。 ── ファンの声援は聞こえてくるものですか? 栗原:全然聞こえてましたね。 栗原:こうやって大野練習場で練習をしていてもファンの方が来てくれて「1軍で待ってます」と何回も声をかけてもらうんで、なんとか早く1軍に戻りたいと思ってるんですけどね。 栗原選手は2000年、ドラフト3位で広島に入団。山形県出身としては初めてとなるプロ野球選手の誕生でした。 恵まれた体から繰り出す豪快な長打が魅力の若きスラッガーは、3年目の2002年9月に藤川球児からプロ初ヒットとなる初ホームラン。 鮮烈なデビューを飾ると、レギュラーに定着した2007年には打率3割越え、自己最多の25ホーマーを放ち、長距離砲として圧倒的な存在感を見せていました。 そして旧広島市民球場ラストイヤーの2008年、FA移籍した新井選手の後を受けて4番の座を任されました。 地元開幕戦でさっそく1号ホームランを放つと、この年は打率リーグ3位となる.332、103打点をマークするなど見事に主砲の役目を果たしました。 栗原:自分の中でもすごく考えながらやっていた1年でしたし、個人としても良い成績を残すことができたんで、すごく充実感のある1年だったなと記憶しているんですけど。 2008年にはこんなこともありました。安佐動物公園の「カンフー熊」クラウド君が栗原選手にプレゼントされたバットを回して話題に。 すると栗原選手の成績もどんどん上がっていきました。 そして市民球場最後の公式戦ではチームを支える4番として、感謝のホームランで締めくくりました。 ── RCCテレビ「RCCカープナイター」(5日放送) | ||
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安芸の者がゆく@カープ情報ブログ
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