広島にクリケンあり ~2015・栗原健太は今~ (Page:3) | ||
History of 4番 カープ不動の4番として迎えた4年目、クリケンと呼ばれファンに親しまれる栗原選手も30歳。2012年のシーズンが始まりました。 しかし、右ヒジの痛みが栗原選手を苦しめます。ヒジを酷使するため軟骨が磨り減り、骨の欠片が遊離体となったり、骨のトゲが神経を圧迫するのです。 離脱してリハビリ 2008年オフには内視鏡でクリーニング手術を受けましたが、2012年のシーズン序盤に再発。4時間に及ぶ手術を受け、選手生命を懸けた苦しいリハビリ生活を送ります。 栗原:ヒジのリハビリもそうですけど、他のところも筋力が落ちているので、やることは多いんですけど、その日その日できる限りのことをやっていきたいと思います。 2013年シーズンに間に合わせるべく11ヶ月間必死の努力を重ね、驚異的な回復を見せると、翌年の開幕戦ではヒットも放ちました。 しかし…。 右ひじとの闘い 栗原:2012年に手術して、ここから感覚が全然違ってきたというか、力も入りづらかったですし…力が入らないと体の開きも速くなってきて…そこからどんどん崩れてきたというのがあるんですけど。 右ヒジを打撃の始点とする栗原選手にとって、自由にならない右ヒジは自身の打撃の根幹を揺るがすものでした。そして2013年5月5日を最後に栗原選手は一軍の舞台から姿を消しました。 2013年8月6日 今年も8月6日がやってきました。マツダスタジアムのバッターボックスに立てなかったことで、この日の事を野球で伝えることが出来ません。 8時15分。僕は僕に与えられた状況の中、精一杯この日を過ごそうと思いました。 心が折れそうになりながら絶対に折れないのは、僕を理解してくれる周りの人達がいて、もっと先の何かを掴む自分を期待しているから。そのための努力は惜しみたくないし、どんなに辛くても何かをしていよう。 そして復活へ万全を期すため、2014年のオフには3度目の右ヒジの手術に踏み切りました。 今はファームでひたすらバットを振る毎日。試合には主に代打で出場し、7月までに3安打。フォームを安定させ、長打力の回復が待たれますが、今の状態はどうなのでしょうか。 現在の右ひじの状況 栗原:バットを持って構えても右手だけ自分のヒジではない感じ、感覚が薄くて右手はどこにいってしまったのみたいな。 栗原:痛みはないんで、あとは体が勝手に怖がってるというか、自分はいけると思っているのに体が動いてくれない。そんな中でも日に日に良くはなってるかなとは思いますね。 自分の理想のスイングを取り戻すため、妥協せず、自分を甘やかさず、ひたむきにバットを振る。練習の虫と言われる栗原選手は今も変わっていません。 1軍復活へ向けて 栗原:手を抜きたくないです。適当にやってしまうと、すぐその感覚を覚えてしまうから。下手になってしまうんですよね。それが嫌です。 栗原:なかなか試合にも出れてないですし、結果も出ていないというところで、「毎日同じことをやっていてしんどくない?」とか知り合いとかにも言われるんですけど、やっぱり良い時ばかりではないと思ってます。 栗原:苦しんでいるけども、なんとかもう一度上でやるためにやってます。 2014年8月6日 たくさん悩むことがありますが、悩めるのも平和だからです。僕が広島で出会った子供達は、戦争や平和の事になると真剣な目で自分の意見を次から次へと話をしてくれます。 その子達の姿はすごく格好良いです。だから全国のたくさんの子供達に、ただ8月6日の8時15分に何が起こったか聞くだけではなく、そこから広がる何かを考えてほしいと思います。 試行錯誤の毎日を送る栗原選手。復活への手応えは…ある! 栗原:極端に言ったら打つ前に分かる時があるんですよ。打てるって。100%ヒットになるかは分からないですけど、高確率で良い打撃が出来るという感覚ですね。そうなるとイケそうやなっていう気持ちになりますし。 広島カープ入団から今年で16年。33歳の今、一日一日、一歩一歩手応えを掴みながら一軍復活にかける。 被爆70年を迎えた今年、栗原選手はどのような思いをブログに綴るのでしょうか。 《終》 ── RCCテレビ「RCCカープナイター」(5日放送)より「安芸の者がゆく」が文字起こし及び意訳・一部抜粋 | ||
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安芸の者がゆく@カープ情報ブログ
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