盗塁王の脚に眠る 不屈のドラマ | |
1989年シーズン中盤(10月15日) この日、その男は1試合6盗塁の離れ業をやってのける。球史に残る大逆転で盗塁王の座を奪った。 その男の名は正田耕三。 身長170センチと小柄でありながら、走攻守でタイトルを総なめにした赤ヘル野球の申し子だった。 そんな正田の代名詞である脚には、二度と野球が出来なくなるほどのアクシデントと、そこから這い上がってきた不屈の秘話が眠っていた。 1962年、和歌山で産声を上げた少年は類稀なる運動神経の持ち主だった。小学3年生で地元の強豪少年野球チームに入団。上級生を押しのけて一番ショートに座り、中学に進学しても1年生からレギュラー。 誰の目にも正田の野球人生は順風満帆に映っていた。しかし、それは正田が中学2年生の時、チームが近畿大会で優勝し、全国大会のキップを手にしたその翌日に起こった。 掃除の時間、友人の帽子を取ろうと校舎の窓から乗り出した正田は過って転落。校舎の3階から地面に叩きつけられた。 幸い命は取り留めたものの左脚は複雑骨折、右脚は靱帯損傷、特に左脚は骨が飛び出すほどの重傷だった。 現場に駆けつけた当時のチームメイトはこう振り返る。 当時のチームメイト:私らは何人かで運動場で遊んでまして、その時に「3階から人が落ちた」と聞いて、見に行ったら正田でした。脚の骨が折れているというより突き出てるんですよね。 突然の野球人生の暗転だった。 ── 広島ホームテレビ「鯉のはなシアター」(4月12日放送)より「安芸の者がゆく」が文字起こし及び意訳・一部抜粋 | |
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