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正田耕三の脚に眠る不屈のドラマ《後編》/左脚は複雑骨折、右脚は靱帯損傷=プロ野球・広島 [2014.06.13]

配信:2014年06月13日(金)14時23分 | カテゴリ:広島東洋カープ | タグ:広島東洋カープ , carp , 正田耕三 ,

【カープ関連特集】
── 広島ホームテレビの番組「鯉のはなシアター」は12日、カープの走る野球を牽引したある名選手の不屈のドラマを放送。
盗塁王の脚に眠る
不屈のドラマ

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校舎の3階から転落。当然、正田の野球人生は暗転した。飛び出した骨を削る手術をした正田の脚は、右に比べ左脚が短くなった。




また事故が一つの原因となり当時の中学2年生の中では大きい方だった身長も、その後は伸びが止まってしまった。

が、しかし…。

元チームメイト:「コイツおかしいんじゃないか」と思いました。病院のベットでグローブとボールをたたいて、その横にはダンベルと握力強化器具を置いて既にトレーニングをしているわけですね。

元チームメイト:こちらは野球できるのかとか、それ以前に「生きているのか、どうなのか」というショックを受けた後での見舞いだったので、野球のことは頭から飛んでたんですけど、本人は野球を忘れていなかったですね。

元チームメイト
:そのぐらいの精神力を持った人間です。




誰の目にも野球ができない状態に見えたが、正田の野球への思いは冷めていなかった。2ヶ月の入院生活。その後もまっすぐに歩くことさえ出来ず、あくなき歩行訓練の日々。通院は半年以上続いた。

しかし、正田の脚は医師も驚嘆する速さで回復。全国大会の1ヶ月前にはチームの練習に復帰するまでになった。中学の野球部の恩師はこう振り返る。

中学時代の恩師:チームの中心選手だったので、少しずつリハビリをやりながらゲームに出てもらおうという気持ちはありましたので、ランニングや左脚の強化、下半身の強化をよくやりました。

不屈の精神力で這い上がった正田が得たもの。それは全国大会優勝という栄冠だった。



正田:どんなケガをしても、どんな状況でも一生懸命頑張ればやれるやないかと。全国行った時もまともに走れてなかったですから。




その後、不屈の魂を宿す努力の男は高校・社会人野球へと進み、日本代表の切り込み隊長としてロサンゼルス五輪で金メダルを獲得。その脚で世界を魅了した。




そして1984年に広島カープに入団。正田耕三はその不屈の精神力で赤ヘル野球の申し子となった。球界の宝と呼ばれたその脚と共に。




球界を代表する選手に成長した正田耕三。ある日、そんな正田の元に全国優勝を遂げた時の中学野球部時代の恩師が訪れた。当時、調子を落していた正田が気になっての訪問だった。

恩師:「最近、調子が悪そうだがどうしたんだ?」と聞くと、「先生だけに話しますが、実は指を骨折しているんです。痛み止めばかり飲んで痛みが麻痺しました」と、そう言ってましたね。



あの日と同じように骨折していても野球に全てを注ごうとしている正田に、恩師は再び聞いた。

恩師:そんな情報は(新聞には)載っていないが。

正田:はい。誰にも言ってませんから。その情報を知られれば相手に舐められるので。




恩師:彼を象徴している。彼の表現としては最高ですね。ものすごく負けん気というか、ガッツがあるんですね。

正田耕三ら若き先人達が体現してきたカープの機動力野球。走り続ける男達のゴールには悲願のペナントがはためいているに違いない。


── 広島ホームテレビ「鯉のはなシアター」(4月12日放送)より「安芸の者がゆく」が文字起こし及び意訳・一部抜粋
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