故障乗り越え16年 河内貴哉投手 |
河内貴哉投手は、2000年に国学院久我山高校から3球団競合の末にドラフト1位でカープに入団。 大野豊さんの背番号「24」を引き継ぎ、未来のエースを嘱望された左腕は、ルーキーイヤーの5月30日、伸びのあるストレートを武器に巨人戦でプロ初勝利。高卒新人では史上4人目の快挙でした。 2004年には自己最高の23試合に先発。8勝を挙げてエースへの階段を駆け上るかに思われましたが、投球の不安定さを直す為に練習に取り組む中、肩に違和感を覚えフォームがズレ始めます。 シーズンの大半を二軍で過ごし、サイドスローに転向するなど試行錯誤を繰り返す中、2008年には投手にとって致命的な左肩関節の手術を行いました。 懸命なリハビリに励むものの、2009年には戦力外通告。しかし、能力の高さと復帰への期待から背番号「124」、育成選手として契約がなされました。 そして手術から4年後の2012年、苦しかったリハビリを経て奇跡的に復活。再び支配下選手登録され、背番号24が帰ってきました。 2012年8月16日、8年ぶりに1軍で勝利投手となり、この日の喜ばしい復活の記録はマツダスタジアム・レフト壁面の記念プレートにも刻まれています。 2013年には中継ぎとして21試合連続無失点を記録するなど、自己最多の34試合に登板。しかし、その後は背中の故障に悩まされるなど、登板機会は減り、今季はわずか1試合の登板となっていました。 今日、球団に挨拶に訪れた河内投手は「16年間、最高の球団でプロ野球生活を送らせていただいた。これからの人生の方が長いし、今後のことはゆっくり考えたい」と話をしていました。 そして、思い出に残っている試合は二つ。 一つは2000年5月3日、プロ初登板・初先発のマウンド。 もう一つは2012年5月23日、手術から4年を経て奇跡の一軍復活登板を果たした試合。 プロ生活の半分はフォームの改良とケガとの戦いに費やした河内投手。野球に対する姿勢や優しく明るい人柄で、ファンやチームメイトに愛される存在でした。 ── RCCテレビ「RCCニュース6」(1日放送)より「安芸の者がゆく」が文字起こし及び意訳・一部抜粋 |
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