炎のストッパー・津田恒実が愛し愛された故郷 (Page:1) | |||
今年も夏の夜を彩った夢の球宴・オールスターゲーム。 今から22年前、オールスターゲーム中に訃報が流れたカープの選手がいる。 新人王をはじめ多くのタイトルを獲得し、2012年には野球殿堂入りを果たした炎のストッパー・津田恒実である。 津田はカープが最後の優勝を遂げた年に頭痛を訴え離脱。 その後、およそ2年に渡り脳腫瘍と戦い続け、32歳の若さでこの世を去った伝説の投手。 その野球人生は、これまで多くの人々によって語り継がれてきた。 そして今も尚、津田の地元には彼の過ごした街と共に生き、彼の生き様を語り継ぐ人達がいる。 今夜は炎のストッパー・津田恒実が愛し、愛された、津田の故郷に眠る鯉の話である。 1960年、山口の田舎町に生まれた津田は地元の中学に進学。 体が大きかったことから投手になると、すぐに高校の指導者達の目に止まる存在となった。 当時のことを後の南陽工業の恩師・坂本氏はこう振り返る。 坂本さん(以下、坂本):監督は通算30年やりましてね、最も強く印象に残っている投手です。球がものすごく速かった。恐怖感さえ感じるほど球に伸びがあったんですね。当時の南陽工業は非常に弱いチームでしたけど、甲子園を意識しました。 多くの高校からの誘いはあったが、津田の心は決まっていた。 津田:家の手伝いをしないといけないから、南陽工に行きたいんだ。 家族思いの津田らしい理由、その実力は南陽工でも頭抜けていた。 高校、社会人時代と共にバッテリーを組んだ同級生は…。 國本さん(以下、國本):津田とのキャッチボールは、スピードもあったし、威力もあったと思うんですけど。 國本:馬跳びってあるじゃないですか、あの時に津田が馬になって背中をつくと、右の背筋だけはポコッと出てるんですね。投げるための背筋があったのかなと。 が、しかし…津田には大きな弱点があった。 恩師の坂本さん:野球選手としては致命傷にもなりかねない部分ですよね。 《続く》 ── 広島ホームテレビ「鯉のはなシアター」(23日放送) |
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