カープ裏方物語 カープ専属ドライバーの思い 40年間 選手の用具を遠征地へ |
ハンドルを握る一人の男性。 前真澄さん(65歳) カープ選手の用具を遠征地に運ぶトラックの専属ドライバーだ。 前真澄さん:ゲームについて歩いていると、「もう40年になる」という感覚だけですけどね。 選手の用具を運び続けて40年。走行距離は地球を約50周分にもなる。 前真澄さん:歳と共に疲れが抜けにくくなりましたね。 そして今年、引退を決意した。 松山:引退されるのは寂しいかなと思います。 カープの選手、スタッフに愛されてきた前真澄さん。用具を運ぶだけにとどまらないチームを支える献身的な姿。そのカープへの思いに迫った。 《本編開始》 先月24日のマツダスタジアム。阪神との戦いを終えた選手の用具を、2日後に岐阜で行われる巨人戦に向けて、専用のトラックに積み込む作業が続いていた。 積み込みの指示を出しているのはカープ専属のトラックドライバー・前真澄さん。 この40年間、一人で選手の用具を遠征先に運び続けてきた。 午後11時半、マツダスタジアムを出発。まず選手の宿泊先がある名古屋市へ。 今回の遠征にはドライバーを受け継ぐ甥も同行している。 翌朝5時半。選手の用具を積んだトラックが名古屋市に入った。 前さんがトラックの専属ドライバーになったのは25歳の時。知人の会社にカープの専属ドライバーの依頼があり、そこから前さんに話が回ってきた。 前真澄さん:「どうしても」と言われたので、「とりあえず1年間やりましょう」という話が、今に至っているわけです。 広島カープ初優勝の翌年、カープ専属ドライバーになった前さん。 前真澄さん:そうそうたるメンバーがおられるところに行くわけですから、最初は緊張しましたね。 40年前、カープ球団は選手が個々に運んでいた用具を、専用のトラックで運ぶことにした。 今でこそ高速道路も整備され、用具を積むトラックも8トン車だが、40年前は高速道路も未整備区間が多く、トラックも2トン車だった。 一番苦労したのは東京への遠征だったという。 前真澄さん:東京なんかね、6時半開始のゲームの時代だったと思うんですよ。 前真澄さん:ということは、日が変わって東京から荷物を積んで出るのが、しょっちゅうだったと思います。 遠征地で試合が終わった翌日、選手が本拠地球場で練習を開始する前に用具を運び込むのが、いつもギリギリだったと振り返る。 前真澄さん:やっぱり疲れるでしょう。歳とともに。 40年間、カープの専属ドライバーとして、チームを支えてきた前さん。今回の遠征を最後に引退することを決めていた。 《前さんカープ専属ドライバー引退の日》に続く ── 広島ホームテレビ「HOME Jステーション」(11日放送)より「安芸の者がゆく」が文字起こし及び意訳・一部抜粋 |
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