《特集冒頭》 |
64年間、県民に支えられてきたカープ。しかし、我々ファンは時に球団の存亡を脅かすことがあります。 |
《前編》 |
1999年6月、新聞にこんな見出しが躍った。 「犯人名乗り出ず・身代わり出頭・球団の窮地救う」 あの事件から実に43年。家族にも身代わり出頭だと言わなかった二人のカープファンの真実が明かされた。 市民球団として誕生した広島東洋カープは、その名が示すように熱狂的な市民によって支えられてきた。 しかし、創立7年目の1956年5月にその事件は起こった。巨人を迎えてのダブルヘッダーが開催されたが、長谷川良平、大田垣喜夫(後の備前喜夫)の両エースを先発させるも両試合とも完敗。 一部の熱狂的ファンのフラストレーションが爆発し、試合終了直後にビール瓶が投げ込まれた。 瓶はベンチに引き上げていた巨人の投手・木戸美摸(きどよしのり・18歳)の右足に命中。衝撃で割れた破片でニ針縫うケガをしてしまった。 これを受けて巨人は態度を硬化させた。 巨人サイド:犯人を出さない以上、二度と広島でゲームはしない。 今後、カープ主催試合も全てボイコット。この事態にカープは球団社長が上京し、巨人のフロントに謝罪。また後の内閣総理大臣・池田勇人ら在京の広島人も仲裁に乗り出したが解決には至らず。 カープは球界から孤立。巨人が要求する犯人も見つからないままだった。そして遂にカープは、リーグ脱退を決意する直前まで追い込まれていった。
しかし、その時だった。突如、犯人を名乗る二人の男が球団事務所に申し出てきた。 ── 広島ホームテレビ「鯉のはなシアター」(5月10日放送) |
《前編》 | 《後編》 |
安芸の者がゆく@カープ情報ブログ
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