平成ラヂオバラエティ ごぜん様さま (RCCラジオ) |
平山さんのプロフィール ── プロフィールを見ると84歳と伺っているのですが 平山:63歳。 安仁屋:(笑) 平山:長いこと63歳ですよ。 ── 63歳から歳をとらない? 平山:sososo ── でも60代と言われても分からないくらいお若い。 平山:そう?いいねコレ(番組) ── オールドファンはご存知だと思うんですけど、改めてフィーバー平山さんのプロフィールを簡単にご紹介しますね。本名は平山智さんです。1930年に日系2世としてアメリカでお生まれになりまして、年齢は自称60代ということでございますね。 安仁屋:63歳ね!はい。 ── アメリカのマイナーリーグでプレーされ、1955年にカープに入団。俊足、強肩、そして闘志溢れる全力プレーからフィーバー平山と呼ばれるようになりました。カープでは10年間選手としてプレーされ、オールスターにも2度出場されています。 ── 1965年にカープを退団。その後、2年間カープの2軍監督を務められて優勝にも導いていらっしゃいます。 ── 帰国後はメジャーのスカウトなどを務められながら、1975年に現役時代のチームメイトだった古葉監督の依頼で、カープのスカウトとなり、ホプキンス、ライトル、ギャレットなどカープの黄金期を支えた外国人をスカウトされました。 ── 経歴を読むだけでもすごい方でいらっしゃいますけども。色んな方からも質問が来ていて、「今日のゲストに伝説のスカウト、黎明期の名外野手・フィーバー平山さんですか、ものすごく楽しみにしています」「祖父が緒方孝市コーチが現役の頃、テレビに映る度に、昔カープに走攻守そろったものすごい選手がおったとフィーバー平山さんの事を何回も語ってくれました。祖父にとっては背番号3は衣笠さんではなく、フィーバー平山さんだったそうです」 ── 私も勉強不足で…3番でいらっしゃったんですね。 安仁屋:背番号3! 平山:そうですよ。 来広目的 ── 今回、広島に来られたというのはどういったことで? 平山:遊びに。 ── 特別な用事があるわけでもなく? 平山:全然ナイ。 ── 久しぶりですか?広島は 平山:3年ぶりかね。 ── 今回マツダスタジアムとかも行かれましたか? 平山:行きましたよ。 安仁屋:巨人3連戦。 ── どうでしたか? 平山:スゴイ!そしてよう入ったわ。 「カバチタレ」エピソード ── バリバリ広島っ弁ですね。 平山:全然日本語ダメだから。 ── いやいやいや、バリバリ広島っ子ですよ。 平山:僕が覚えた言葉は悪いことばっかでしたから、みんな教えてくれたからね。他の選手の連中が。 平山:僕が最初に覚えた言葉が「カバチタレ」(広島弁で「屁理屈を言う人」)なのよ。 安仁屋:(爆笑) ── かろうじて放送できる言葉でよかった(笑) ── いきなり「カバチタレ」って誰が教えてくださったんですか? 平山:他の選手がね、「カバチタレ」の意味が「はい、分かりました」と言うたんですよ。だからね、監督さんが来てね、話をする時に「はい、カバチタレんな」って言うたんですよ。 安仁屋:悪いこと教えてね(笑) 平山:そして怒ってね。白石監督が。ベンチの方を見たらね、みんなひっくり返っとった。笑って。 安仁屋:悪いのがいるんですよ(笑) 平山:全部ね、悪い言葉ばっかしですよ。 ── 素直に使っちゃいますよね。分からないから。 近況 ── 今はアメリカにお住まいなんですよね? 平山:はい、そうです。 ── 悠々自適って生活ですか? 平山:そうですね。もうなんともやらないですよ。 ── じゃあ、どんな風に1日をお過ごしなんですか? 平山:食べたりね。飲むのやめたからね。 安仁屋:お酒やめてですね。今ノンアルコール飲んでるらしい。 ── 健康的でいらっしゃいますね。 平山:いやいや、そういうことはないがね。頭がやっぱりダメですよ。 ~ 安仁屋さんとの運命の出会い編に続く ~ ── RCCラジオ「平成ラヂオバラエティ ごぜん様さま 安仁屋宗八の直球勝負」(28日放送)より |
後編 |
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