鈴木誠也 “意識変えた”ターニングポイント (広テレ「進め!スポーツ元気丸」) |
鈴木誠也が「ターニングポイントになった」と語る2014年のクライマックスシリーズ第2戦でのサードゴロ 鈴木誠也:あれがなければ今の僕があったかは分からないです。 2012年にドラフト2位で入団した鈴木誠也は、ルーキーイヤーの2013年に1軍デビューを果たすと、2年目の2014年には35試合に出場。 打率3割3分4厘を記録し、9月にはプロ初ホームランを放つなど頭角を現していたが、当時は主に代打要員で、スタメン出場は9試合だった。 鈴木誠也:(当時は)技術的にも全然低かったですし、もちろん打席の中で余裕を持って考えられる経験もなかったので。 2014年のレギュラーシーズン終了後には野村謙二郎監督が退任を発表。迎えたクライマックスシリーズは指揮官の花道を飾る大事な試合だった。 シーズン3位のカープは初戦を落とし、引き分けでも敗退というがけっぷちで迎えた第2戦。鈴木誠也は7番ライトでスタメン出場。 試合は当時のルーキー・大瀬良が気迫のこもったピッチングで無失点に抑え、0-0で迎えた7回表に、先頭の3番・ロサリオがセンター前ヒットで出塁。4番のエルドレッドがレフト前ヒットで続くと、送りバントと敬遠で1アウト満塁の場面で鈴木誠也の打順。 鈴木誠也:絶対に代打だろうなと思っていたんですけど「行け」と言われて。 鈴木誠也:すごく期待してもらっているなと、「ここは絶対応えたい」という思いで打席に入りました。 野村監督は代打を告げることなく、そのまま鈴木を打席に送った。 1点でも入れば勝利を大きく引き寄せる場面。しかし、結果はサードゴロ。得点を奪う事はできなかった。 鈴木誠也:僕が打てなかったから負けたという試合ではあったので、いつかああいう場面でしっかり打って返して、チームを勝たせられるバッターになりたいと思いながらやってきました。 鈴木誠也:僕の中ではあの時が一番の分岐点だと思います。 延長12回、最後のバッターとなったのも鈴木。野村監督はこの試合を最後にユニフォームを脱いだ。 鈴木誠也:本当にあれがなければ今の僕はあったのか分からないですし、絶対にコーチの中では反対というのもあったと思うんですけど、そこを押し切って使ってくれたので、本当に感謝しています。 ── 広島テレビ「進め!スポーツ元気丸」(12日放送)より「安芸の者がゆく」が文字起こし及び要約・意訳 |
コメント 《野村謙二郎》 (カープOB) |
ノムケン:あれがなくても今の誠也はあったと思いますよ(笑) ノムケン:今のインタビューで言ってましたけど、その通りです。当時はみんな反対してました。「代打を送ろう」と。 ノムケン:でも「そのまま行かせる」と言ってね。僕は「打ってくれ…打ってくれ…」と思っていたんですけど(笑) ノムケン:凡打にはなりましたけど、当然、これからのカープを背負って立つ選手だと思ったので、代打を送りませんでした。 ── 広島テレビ「進め!スポーツ元気丸」(12日放送)より「安芸の者がゆく」が文字起こし及び要約・意訳 |
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