特別編・母校巡り 新井と中東を育てた県工 |
県工出身・新井貴浩。4番キャプテンとしてチームを引っ張った。 県工の元監督で、およそ半世紀に渡り野球部を支えてきた真藤さんは高校時代の新井をこう振り返る。 ── 新井貴浩選手はどのような選手でしたか? 真藤さん:人の3倍ぐらい練習する子でね。いくら野球が上手くなくても、人の3倍、4倍努力すれば一流選手になれるんじゃなぁと思って。だからこちらが勉強になったですよ。 高校時代から練習の虫だったという新井。当時の指導者はどのように見ていたのだろうか。現在、県工野球部の監督を務める松岡さんは…。 ── 県工のグラウンドの中で、新井選手のどのような姿が思い出にありますか? 松岡さん:守備で失敗して走っているイメージですね。あれは捕らんといけんじゃろう!というのを落としていたこともありましたし。 ── 印象的には? 松岡さん:決して上手い方ではないですけど、怒るのが可哀相なくらい一生懸命やってた子なので。それは当時のチームメイトに聞いても「手を抜くことを知らない選手だった」と言うと思いますね。 ── 彼はなぜ上手くなったと思われますか? 松岡さん:努力以外はないと思うんですけどね。人一倍というか、人の5倍は練習していると思いますし、じゃないと、なんぼ体が大きいといっても、あんなに飛ばすスイングは出来ないと思いますし。 ── 当時、パワーはありました? 松岡さん:当たったらすごかったと思います。 指導者も舌を巻くひたむきな姿勢。チームのキャプテンを任されても彼は変わらなかった。 松岡さん:言葉で引っ張るのではなく、自分のプレーで引っ張っていくような選手だった印象は残ってます。人よりも努力しないといけないと思っていたと思うし、自分が上手い選手だとは思っていないし。 松岡さん:いまだにスター選手になっても、全然威張るようなこともないし、そういった人間的なところでプロ野球選手になれたと思いますね。 謙虚に驕ることなく野球の道を究める新井に伝えたいメッセージは。 松岡:体も骨も魂も砕けるまでやって欲しい。ここまでやれて来れたんだから。好きな野球をヘロヘロになるまでね。格好良く終わるのは新井らしくない。 ── 広島ホームテレビ「鯉のはなシアター」(9月3日放送)より「安芸の者がゆく」が文字起こし及び意訳・一部抜粋 |
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