第18話 病魔と闘い続けウイニングボールを掴んだ男 《後編》 | |
水谷がコーチに就任した年。 入団してきた選手が前田智徳だった。 誰よりも病気とケガと闘ってきた水谷は、入団してくる選手達を1年でも長くプロ野球選手として残そうという信念を持ち、自分も独身寮に入り、野村謙二郎、緒方孝市らと食を共にし、前田智徳と江藤智に挟まれた部屋に住み込んで、その成長を間近で見守った。 前田智:僕らは高卒1年目ですから、練習の最後のほうで打ってたんですけど、そこに初めて水谷さんがやってきて、後ろで見てる視線を感じました。 前田智:「いいバッティングしとるのぉ」とか言われて、そんときは本心か分かりませんよ。半分「頑張れよ」という気持ちで言ってくれたと思うんですけど、ただ、1軍の打撃コーチに言われたのは緊張感がありましたし、嬉しかったです。 前田智:ボクと江藤さんはよくしごかれたんで。試合で見逃し三振をしようものなら「お前ら100年早い」と、そういうのがあって、ボクは引退まで三振は少なかったと思うんですよ。 前田智:いつか水谷さんに認めてもらいたいと思ってやってましたんでね。 その後、前田智徳は奇しくも恩師と同じように、もがき苦しみながら孤高の野球人生を歩んでいく。 水谷氏:前田はケガしてもケガしても我慢して、絶対に投げ出すようなことはなかったんよ。あれがプロですよ。 前田智徳・涙の裏に あの日、前田がこぼした涙。そこには、たとえ別々のユニフォームを着ていようと全てを分かち合う2人の凝縮された時の大河があった。 この話にはまだ続きがあります。その後の鯉の話です。 前田智徳・涙の訳 あの時、前田が見せた涙について、今、水谷はこう語る。 水谷氏:試合前日に電話があって「明日、挨拶に行きます」と、阪神のベンチに座っていたら、いつのまにか前田が横に座っとるんよ。 水谷氏:「もう苦しまんでいいから良かったな」と言ったら泣き出して、あの時はビックリしたよ。 前田智:挨拶に行った時は優しかったですね。さすがに。ただ、いろんな事が甦りましたんでね。今もやばいですね。 水谷氏:まだ若いんだからカープのユニフォーム着て、選手を鍛えて頑張ってもらいたいよね。 水谷氏:今度は教える方でご恩返しよ。 前田智:やっぱり自分でやるのと選手に伝えてやるのはでは”雲泥の差”がありますからね。 前田智:水谷さんがもう1回コーチやって下さいと。カープに帰ってきてもう1回やってください。その方が早いですと伝えて下さい(笑) ── 広島ホームテレビ「鯉のはなシアター」(20日放送) | |
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