【特設記事】 カープ戦中継の放送予定と試合日程[1軍][2軍] | 順位表 | 公示 | 写真集・レポート一覧 | 遠征記録 | カープ関連特集・特番の放送予定 | 故障者情報 | カープ選手特集の一覧 | 現役引退・退団選手の進路 | ドラフト2017~交渉権を獲得した選手 | 契約更改 | 世代別選手一覧表 |

【HOME】病魔と闘い続けウイニングボールを掴んだ男《前編》=プロ野球・広島 [2014.09.20]

配信:2014年09月20日(土)12時07分 | カテゴリ:広島東洋カープ | タグ:水谷実雄 , 前田智徳 ,

広島ホームテレビの番組「鯉のはなシアター」は20日、病魔と闘い続けるもウイニングボールを掴み、カープ初優勝の瞬間を飾った水谷実雄さんの特集を放送。

── 広島ホームテレビ「鯉のはなシアター」(20日放送)
第18話
病魔と闘い続けウイニングボールを掴んだ男

精密検査の結果次第では退団。かつて病魔に冒されながらカープに入団した強き鯉がいました。


2013年10月

2948_01.jpg
2948_02.jpg

赤き侍、前田智徳が引退。その前日、引退試合を待たず、前田がその男の胸で涙した姿が話題となった。

2948_03.jpg


若き日の恩師であり、互いにもがき苦しみながらグラウンドに立ち続けた野球人。水谷実雄だった。

2948_04.jpg


高校3年の12月、水谷の戦いの日々はドラフトで指名された直後から始まった。突然、高熱で倒れ、その熱は40度のまま2ヶ月以上続いた。


宣告された病名は「急性腎炎

当時、患者の1/3が死に至ると言われた病で、医師からは「野球をやめないと命の保障はできない」と宣告された。

2948_05.jpg


だが水谷は「ワシから野球をとったら何が残るんだ…」「死んでもいい…飯より好きな野球ができれば…」

2948_06.jpg


野球に全てをかける道を選んだ。

水谷:(当時)抗生物質が出来たのよ。それをバンバン打つわけよ。先生が「もうこれで止めます。これ以上打ったら体がボロボロになって具合が悪いから」と。


水谷
:球団からは「検査をして悪かったら入団は辞めましょう」と言われた。

2948_07.jpg


しかし、1年目は病気も完治しておらず、漢方薬を飲みながらファームで体力作り。腎臓病が治った2年目にかけるも、すぐに投手から野手へのコンバートを命じられた。

それでも命を懸けて飛び込んだ野球の道。水谷は自信のあった打撃に磨きをかけ、当時のウエスタンの新記録となる1試合4本塁打を放ち1軍行きのキップを掴むと、レギュラーの一角を担うまでとなった。

しかし、その体はいつ腎炎を発症してもおかしくない状態。服用していた薬の副作用で皮膚は荒れ、湿疹に悩まされ、慢性的にビタミンB1が欠乏して極度の疲労感に襲われた。

水谷はそれを補うため、プライベートを切り詰め、他の選手の二倍の睡眠をとることに心血を注いだ。「悪いやつほどよく眠る」そう周囲がからかうこともあった。水谷はグッとこらえ、枕にしがみついた。

2948_08.jpg


そんな姿を野球の神様が見ていたのか、急性腎炎に倒れたあの日から10年。水谷はカープ優勝のウイニングボールをその手に掴んだ。

2948_09.jpg


水谷:俺のとこに飛んでくるな。俺のとこに飛んでくるな。それだけ。

2948_10.jpg


水谷:優勝のことなんか考えてないのに、また飛んできたんや。これが。捕ったときはホッとした。


その後、順風満帆の野球人生を送っていた水谷だったが、1984年にトレード先の阪急で頭に死球を受けた。三半規管に障害が出るほどの重症だった。

2948_11.jpg


このケガが一つの原因となり、引退を余儀なくされた。

2948_12.jpg


しかし、病気とケガに苦しみ続けた水谷の経験は、第2の野球人生で活かされる。1989年、カープの打撃コーチに就任。

2948_13.jpg


その年、入団してきた選手が前田智徳だった。

2948_14.jpg

── 広島ホームテレビ「鯉のはなシアター」(20日放送)
《前編》《後編》
最近の記事