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【カープ】岡田明丈投手、女手一つの家計を助けるために大学時代は居酒屋等でバイトをしながら野球に打ち込む

配信:2018年09月10日(月)21時36分 | カテゴリ:広島東洋カープ | タグ:カープ , 特集 , 岡田明丈 ,


【カープ選手特集】
── 広島ホームテレビの番組「鯉のはなシアター」は10日、岡田明丈投手の特集を放送。
(文字起こしの量が多いため一部を抜粋)

不屈の挑戦
岡田と母のある約束

これはドラフト1位で入団した岡田明丈の、母とのある約束に迫る鯉の話である。



1993年、明丈は東京の練馬で産声を上げた。






妹と二人兄妹。小学生の頃は野球とは縁のない少年時代を過ごした。






岡田:あまりプロの試合を見なかったので、どこのファンとかは全然なかったです。遊ぶ時に接点があったかなぁというぐらいです。






本格的に野球を始めたのは中学時代。友人の誘いで軟式野球部に入部したが、当時の明丈はキャッチボールもままならない、どこにでもいる野球少年だった。






少しずつ野球の面白さに気付き始めた明丈だが、中学3年生の時にある転機が訪れた。

それは両親の離婚。






女手一つで子供を育てる。母は子供を連れ立ち、実家がある大阪に戻った。






家賃、二人の子の学費、そして高校でも野球部に入部した明丈の部費を、女手一つで捻出しなければならなかった母。






しかし、バブルが弾けた不況下の日本において二人の子供を養うには、母は昼夜を問わずに働かなければならなかった。

昼は百貨店、夜はスーパーでパートとして働く傍ら、わずかな休みもホテルの配膳などを行い、1カ月のうち27日間は仕事に明け暮れた。






朝に家を出て、深夜に帰宅する生活が当たり前だった。しかし、どれだけ忙しい日々が続いても母は明丈の弁当だけは作り続けた。






母の粉骨砕身の頑張りに応えるため、明丈も強豪校の練習に食らいついた。

高校で野球の才能が開花し始めた明丈は、関西の大学野球の雄・大商大野球部に入部。







コントロールは悪いがストレートの威力は折り紙付き。監督の指導のもと、徐々に注目を集める投手になった。






そんな矢先、練習を終えて帰宅した岡田に、母から思いもよらぬ言葉がかけられた。

「野球をやめてくれないかな」






野球用具を始め、強豪チームゆえの遠征やキャンプの度に10万円以上の負担。






岡田の才能が開花すればするほど家計はひっ迫した。

母の苦労は身に染みて分かっていた岡田は、そこで母にこう答えた。

「俺、アルバイトを始めるよ」






野球でかかるお金、食費は自分で費用を捻出することを決意。アルバイトをするという約束で母を納得させた。

全ては「野球」のため。ここからアルバイトをしながらプロを目指す岡田の不屈の挑戦が始まった。



全国でも有数の練習量を誇る大商大。午前中は青果店やホテルのウェイターなどでアルバイトに励み、練習に臨んだ。





練習後には自宅から近い居酒屋での勤務。






夜の6時から12時まで黙々と働いた。






そして週末になると夜明けから日暮れまで練習漬け。






そんな中で母と約束したアルバイトとの両立で収入を確保した。

さらにグラブやスパイクは修理を重ね、ボロボロになっても使い続け、節約に励んだ。






岡田:バイトとかはしんどかったですけど、野球のためにバイトをしていたので、「野球をやめる」という選択肢はなかったです。







岡田:「やれることはやらなきゃな」と思っていました。







野球もアルバイトも全力で打ち込む生活は、岡田を精神的にたくましく鍛えていった。






母、家族について


岡田:家族がいなければ、たぶん野球は出来ていないので、色々迷惑もかけましたし、苦労も掛けたと思うんですけど、今こうやって野球を仕事に出来ているので感謝しきれないですね。




── 広島ホームテレビ「鯉のはなシアター」(10日放送)より一部抜粋
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